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白石壮一郎(SHIRAISHI Soichiro)

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専門分野

地域研究文化人類学社会学

人類学、社会学 アフリカ地域研究、農村社会論 地域開発論

調査地

ウガンダ


ウガンダ共和国(東アフリカ)

研究概要とこれから

(1)  フィールドワークに基づくアフリカ農村社会変化の研究
 1998年末より断続的に、通算約2年間にわたって、ウガンダ共和国東部エルゴン山域にくらす農耕民サビニ(Sabiny)社会での現地調査に従事している。おもな研究トピックは、ⅰ) 家畜放牧や耕地での農作業など生業に関わる主要な労働の編成のしかたに関しての分析、およびⅱ) 土地へのアクセスをめぐる争議の過程と、人びとの争議への評価の分析である。
 おもな論点は、ⅰ) 「市場経済の体現媒体である貨幣によってアルカイックな共同体の社会的な紐帯は破壊され、個別世帯化や個人化がすすむ」という古典的な図式を実証的な手続きで再考すること、ⅱ) 複数の人がひとつの財にたいしてその財の保有や利用などの権利を申し立てるような人-財の重層的関係のあり方を、具体的な土地争議内容の詳細な分析から明らかにすること、などである。

(2) 開発と社会調査 (地域研究や人類学の実践的意義の検討)
 開発政策学と人類学や地域研究は、長年にわたって建設的な協働が望まれていながらなかなか双方の距離が縮まらない。最大の難問は、研究者サイドの事例研究が個別の事例に関する1年、2年といった長期間の調査を前提にしているのに対し、開発援助プログラム実施サイドは汎用性の高い実施モデルを短期間のフィージビリティ調査をもとに導き出そうとする点にある。双方がこの距離を縮めるための方策をさぐるため、開発学者、開発実務者などとワークショップ、学会分科会などを組織して議論を重ねてきた。

(3) 現代アフリカにおける民主化・地方分権化とローカルな諸実践に関しての研究
 地方分権化のような制度変化と並行して生じている住民レベルでの「参加」型の資源利用と管理のあり方の変化を、とくに立場の違った住民や、NGO・NPOなどの新たなアクターの役割やお互いの関係形成に着目しつつ、ローカル・ガバナンスの再編成の動態的過程として分析する。
 アフリカのローカルな生活資源の利用が、地域住民による利用基準や国家政策による管理だけではなく、グローバルな基準の要請や企業といった強力なアクターの決定にゆだねられかねない現今の情勢の中で、住民の「参加」を開発政策のスローガンの形式的達成として問うのではなく、住民を中心にすえたアクターのネットワーキングの過程として明らかにすること、しかもフィールドワークに基づく事例研究の積み重ねから明らかにすることがポイントである。

研究のキーワード

所属

日本学術振興会ナイロビ研究連絡センター センター長 (2011年4月〜 )
京都大学アフリカ地域研究センター 特任助教 (2011年4月〜 )
神戸大学大学院国際協力研究科 非常勤講師 (2011年4月〜 )
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 共同研究員 (2010年4月~ )
国立民族学博物館 共同研究員 (2009年10月~ )
関西学院大学大学院社会学研究科 特任助教 (2008年11月~2011年3月)
近畿大学農学部環境管理学科 非常勤講師 (2008年9月~2011年3月)
関西学院大学社会学部 非常勤講師 (2010年4月~2011年3月)

連絡先

URL: http://www.humanosphere.cseas.kyoto-u.ac.jp/article.php/member_shiraishi

関わっている科研・プロジェクト(HP)

○ 国立民族学博物館共同研究「アジア・アフリカ地域社会における〈デモクラシー〉の人類学-参加・運動・ガバナンス」(代表:真崎克彦、2009年10月~2013年3月)
   http://www.minpaku.ac.jp/research/jr/09jr126.html

○ 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究プロジェクト「社会開発分野におけるフィールドワークの技術的融合を目指して」(主査:増田研、2010年4月~2013年3月)
   http://www.aa.tufs.ac.jp/ja/projects/jrp/jrp175

○ 関西学院大学大学院社会学研究科大学院GP共同研究「東アジアのストリートの現在」(代表:稲津秀樹・谷村要、2008年10月~2011年3月)
   http://www-soc.kwansei.ac.jp/kgu-gp/jp-street.html

主な業績

http://www.humanosphere.cseas.kyoto-u.ac.jp/article.php/member_shiraishi

所属学会

日本アフリカ学会 (2001年5月~)
日本生態人類学会 (2002年3月~)
日本文化人類学会 (2006年6月~)
国際開発学会 (2009年10月~)
日本社会学会 (2010年3月~)

自分の研究とつながりを期待する研究分野・テーマ

その他

日本学術振興会ナイロビ研究連絡センター(JSPS Nairobi Research Station)
http://www.jspsnairobi.org/

【調査・渡航歴】

◇ 1998年12月 ~ 1999年03月 (ウガンダ東部、エルゴン山域Sabiny社会)
 予備調査。うち1ヶ月ほどは首都Kampalaで調査許可などの手続きに費やす。以後現在に至るまで、現地調査はMakerere大学社会科学部長Edward Kirumira教授と研究連絡をもちつつすすめている。エルゴン山域(Mt. Elgon、当時はKapchorwa District、現在は西半分のKapchorwa Districtと東半分のBukwo Districtに分かれている)に入ってからは、広域にわたって5-6箇所の村むらを見て回り、栽培作目や家屋のつくり、耕地面積やウシ飼養頭数、マーケットへのアクセスなどの微妙な地域差に気づく。2月ごろ、そのうちのひとつの村(家)を居候先に決める。

◇ 1999年06月 ~ 2000年02月 (ウガンダ東部、エルゴン山域Sabiny社会)
 滞在期間半ばで、村の56世帯(当時)の悉皆調査をおこなう。世帯の構成員、割礼年、栽培作目、耕地の位置とだいたいの面積(歩測、目測、一部メジャー計測)、飼養ヤギ・ウシ頭数、最近2-3年間の商品作物出荷状況など。加えて、1970-80年代のウガンダ政治経済不安定期のこの地方のインセキュリティーについての聞き取りも実施。調査初期の最大の関心は、20世紀の前半には農牧民的な生計を営んでいた人びとが商品作物栽培に転じた経緯であり、隣接エスニックグループKarimojongやPokotからの武装ウシ掠奪が激化したことを、その変化のおもな要因として人びとが語りたがることがわかる。「ウシは一晩で失ってしまうが、畑はそうはいかない」。
 またこの滞在時に、ふたつの大きな会議に参加。ひとつは居候先の家族の土地相続会議、もうひとつは居候先の氏族の成員の殺害事件の殺人者を出した氏族とその代償を交渉する会議である。どちらも同席のうえ内容を録音記録、なんとか翻訳をすませる。土地相続会議のほうは、修士論文後の研究にもつながってくる。

◇ 2000年07月 ~ 09月 (ウガンダ東部、エルゴン山域Sabiny社会)
 修士論文のための追加調査。農繁期に各世帯からウシを預かる、村外のウシ共同管理拠点での牧夫の輪番制、牧夫とウシの持ち主との契約関係などについて調査する。牧夫とともに定住村を離れた平原部近くの岩棚にあるウシ放牧拠点(kaptich)に野営し、朝になれば乳を飲んで平原部にウシを放牧に行く幸せな毎日をすごす。こうしたウシの放牧は、現在の村の生活の〈最周縁〉に位置づけられていることも分かる。村の大人たちからは、なんという物好きだと笑われると同時に、お前もホンモノのSabinyだという賞賛も受ける。

◇ 2001年12月 ~ 2002年09月 (ウガンダ東部、エルゴン山域Sabiny社会)
 Kenyaの西部を院生仲間とエクスカージョンしたあと、Nairobiから陸路でKampala入り。フィールドの村では世帯間の隣人・親族関係をベースにした協力関係、互助講などのアソシエーションをベースにした協力関係について調査。とくに耕地での農作業をめぐる協力の実態については詳細に調査。1960年代まで頻繁におこなわれていた地酒の共飲をともなう大規模な労働交換(moyket)はいかにして廃れたのかを聞き取りによって調べる。
 くわえて、生業の変化を中心とした一般地域史について聞き取り調査。現在の村の生活はひととおり分かったような気になっていたので、年長者に昔の話を聞き取ることはとても面白かった。商品作物(トウモロコシ)が牛耕とともに地域に入ってきて以来、村の社会経済はドラスティックに変化していったという、(ウシ掠奪による変化とは別に)もうひとつの地域史のイメージが頭に描かれていった。

◇ 2003年12月 ~ 2004年03月 (ウガンダ東部、エルゴン山域Sabiny社会)
 地域史における土地と人との関わりの変化に関する調査。比較的土地を持っている人物数名に、(相続を含め)土地をどうやって手に入れたのかを中心に聞き取る。また、60年ほど前に村から出て別地域に移住していった人物が死に、現在は別の人物(聞き取りをおこなった土地持ちのうちのひとり)に使われている土地をその息子が自分のものとしてクレイムし係争中だったので、村裁判の記録を入手、関係者に聞き取りをおこなう。

◇ 2005年02月 (ラオス人民共和国)
 ラオス人民共和国、Savannakhetで開催されたワークショップでコメンテーターをつとめるべく渡航。ラオス中南部の農村と地方定期市のイクスカージョン。東南アジアの農村部を実地でみたのははじめて。

◇ 2005年08月 (タンザニア連合共和国)
 Dar es Salaam大学で開催されたワークショップでの発表のためにタンザニアに初渡航。当地の研究者、および日米英の研究者らと同時代アフリカ農村部の社会経済について討議。ワークショプ後、ウガンダ東部のフィールドを数日間訪問。

◇ 2007年11月 (ウガンダ中部、Mabira森林保護区周辺)
 Makerere大学で国際共同ワークショップを開催(企画・運営も担当)、発表のために渡航。現地の院生・研究者、および日米英の研究者らとフィールドワークにもとづいたアフリカ研究の意義について緊張感ある討議。ワークショップ後、ウガンダ東部のフィールドを数日間訪問。
 その後、財団法人調査員として農水省委託調査実施のため、調査員2名とともにMakerere大学卒業の10人の調査助手をひきつれ、Mabira森林保護区周辺をはじめて訪れる。3泊4日という時間的制約のなか、3か村・計約150世帯に質問票調査をおこなう。質問は家計に関する基本的なものと、森林利用の実態、social capitalについてなどの基礎調査で、質問票は全16ページの分量。こうした業務調査の厳しさをはじめて経験し、勉強になった。同時に、「自分の調査している村や人びと(ethnic group)を離れると自分はまったくのしろうと」と思っていたが、多少の調査カンははたらくのだ、という発見も。

◇ 2009年08月 〜 09月 (ウガンダ東部、エルゴン山域Sabiny社会)
 およそ1ヶ月の滞在で、これまでにやった調査のかんたんなフォローアップ。ほか、親族会議に出席したり、Teso(別のethnic group)の男と駆け落ちした居候先の「妹」の駆け落ち先を家族の密命を受けて訪ねたりと、短いあいだにイベント盛りだくさんの日々。9月、帰国直前の首都Kampalaで暴動が起こる。

◇ 2011年04月 〜 (ケニア共和国、ナイロビ)
 さる独立行政法人の駐在員として、ケニアの首都ナイロビに2年間の予定で赴任。まさか自分が、ナイロビで仕事をすることになろうとは。日々、ナイロビ市民の生活を横目で見つつ、業務業務。仕事に慣れてきたら、研究や遊びにせいをだそうともくろみつつ、業務業務。